味のしないガムをずっと噛み続けている意味とは・・・?

 

 


人に対して賞味期限切れなどと使ってはいけないというのが一般的な論調で、平均的な価値観だと思うが。実際に賞味期限切れという状況は多々ある。ただそれを真正面から受け止められない人が多いので、そう言われた側は不快に思うというわけである。同様に人に対して損得勘定で接してはならないと僕は思っている。

 


幸いな事に下らない僕の周りにも、僕の近くから離れずに居てくれる人が一定数いる。その彼らに対し、僕は損得勘定で接した事は無い。メリット、デメリットで付き合っているわけでは無いという事だ。

僕は近くに居て不快に思う事は無いので離れるという事はしないが、近くに居たいのかというとそうというわけでも無いのだ。ならば何故、僕は離れずに居るのか。つまるところ、面倒臭いだけなのである。良くも悪くも無いのならば現状維持のままが最も労力が少ないという事だ。

 


ただそれではいけない事は僕自身理解している。人は変わらずに一生を終える事は出来ない。時間という壁を超える事が出来ないからだ。人は年々、歳を取る、それによって置かれる立場や環境が変わる。だから、最終的には何かしらの決断をしなくてはならない。

 


僕は今、決断を迫られている。

 

 

 

 

 

 

結婚をするのか、しないのか。

 


この一文だけ読むと、その辺りのカフェで女性同士で話している会話の一部と言っても過言じゃないくらいに、甘ったるい一文だが。僕は真剣に今、この事について悩んでいる。

そもそも結婚というのは相手があっての事だ、1人で結婚などは出来ない。結婚をするということは家族が出来るという事で、1人だった空間が2人の空間になり、全ての事が共有されるという事だ。

まあそれだけならば、然程困り果てる事も無いのだが。男性側の場合は、結婚する女性に対して、責任が生まれるという事でもある。責任という事は保証をするという事である。よく見聞きする「お前を幸せにする!」などといった昭和染みた男気溢れるセリフなど、到底僕には口に出来ない。要するに「幸せの保証をする」と言っているのと同じなのである。そんな事を言いながら、結婚をする神経が分からない。何を根拠に、幸せにするなどと言えるのか。幸せに出来なかった時は、どう保障するつもりなのか。

そんな事まで考えて結婚をする者はなかなか居ないとは思うが。責任が取れない事はしてはならない、というのが僕の考えだ。

 


無責任な事はしたく無いのだが、決断を迫られている状況にある。

ならば、しないという一択では無いのか。という事ではあるのだが、それを選ぶ事に躊躇いがある。何を躊躇いがあるのか、それこそ無責任とは言えないのか、そう思ってはいるが、なかなか切り離せないのが悩みの種ではある。

 


ここで冒頭で触れた話に戻る。「人に対して賞味期限切れなどと使ってはいけないというのが、実際に賞味期限切れという状況は多々ある。」僕は正直言って、賞味期限切れだ。もう若くも無いし、ここから途轍も無く稼げる人間でも無い、才能が無いから、収まるべきところに収まっているに過ぎない。

 


言うなれば、味のしないガムと同じだ。それなのに、そんな僕を支持してくれる人がいる。僕はそれに対して、どう応えるべきか。それが悩みの種なのだ。

 


僕は選ばなくてはならない。いつか最終的には損得勘定を頭の片隅に置きながら決めなくてはならない日が来る。そう思うと、頭の奥に痛みを感じざるを得ない。そんな夜だった・・・。