昨日までの当たり前が、当たり前ではない今日になった時

「現状維持では後退するばかりである」


僕はこの言葉が好きだ。常に上昇志向で向上心を持って日々を過ごさなくては成長しない、という意味だ。この言葉を聞いた事がある人はウォルトディズニーを思い浮かべるだろうが、もともとはゲーテの言葉である。

日々頑張ることは大事であるが、なぜ頑張るのか顧みた事はあるだろうか。その頑張りは現状維持の為になっているだろうか。きちんと先の未来を見据えての行動になっているのか。

 

そんな自問自答をして急に耳が痛くなった気がした。そういえば僕は何で頑張っているんだろうとふと思った。若い頃は負けん気だけで頑張れてはいたけど、30の半ばになろうとしている今ではそれだけでは前には進めない。頑張るにも理由がいるのだ。我ながら面倒くさい性格をしているものだと思う。

さて僕は何の為に頑張るのか。頑張るって事は何かを大事にする事と同義だ。僕は何の為に頑張ろうとしているのか、それが分からなくなって来ている。誰かを大事にして来たわけでも、かと言って自分を大事にして来たわけでも無く、ただただ目の前の目標を遂行すべき全力を費やしてきた結果、大事な物が何も無いまま、ただ歳だけを重ねてきてしまった。頑張るって事はある種「居場所の確立」って事で、どこにも居場所が無い僕には、頑張る資格が無いって言われてる様な気がした。

 

居場所っていうのは誰かに認められて初めて効果を表わすものだ。だから何万人に認められていなくても、たった一人大切な人にさえ認められていれば、そこがその人の居場所って事になる。僕には本当に居場所が無いのか、それとも僕が気付いていないだけなのか。

以前までの僕は僕自身が僕を認めていたから、それで成立していたのだと思う。小さい男だと思われるかもしれないが、認めていたという事実は変わらないし、認めていたという事実が自体が大事なので些細な問題には目を瞑るとして、今の僕は僕自身を認めていない事が今回の問題の引き金になっている。昨年の秋頃、失敗を犯し自分自身を信じられなくなったのがそもそもの原因だ。よく信頼を取り戻すのは容易では無いと聞くが、それが自分自身の信頼を取り戻せないとは難儀なこった。つまるところ成功体験を積み重ねて再び自分自身を信じられる様になれば良いというのが結論ではあるが、ではそれをどうやって実現すれば良いのかそれが分からないから、ますます迷宮入りというわけだ。自分に試練を与えて、それを乗り越えられれば万事解決へ向かうだろうが果たしてそれを頑張れる自分がそこにいるのか。一度不安になるとなかなか抜け出せないのも人である。ただ唯一の救いは、現状のままではいけないという事を僕自身が知っている事ということだ。何をまあ頑張る頑張らないなどという事でここまで書けるなと自分自身でも思うが、若い頃にあった勢いだったり、希望だったり、フレッシュな気持ちが原動力の一つになっていたが、無駄に歳を取って色んな事をある程度正しく判断できる今。やんちゃだけで頑張れる歳では無くなっていたということだ。頑張る理由、即ち自分の居場所というのを探すことが前に進める方法なのだと思った。