光り輝く楽園の一端を少し見れた気がして幸せな心持ちになった、とある日のこと。

数日前のことだ。

 

今年は初詣に行こうと前々から決めていた。本当ならば元旦に行く筈であったが、前日の大晦日で夜中まで起きていたせいか、元旦は寝正月から始まった。昼過ぎに起きてしまった手前、その時間から行くのは難しいであろうと元旦に行くのを諦め、翌日2日に初詣へ出向いた。

 

今まで初詣というものをした事が無い僕は初めての初詣をそれなりに楽しんだが、今回の話はその帰り道の事。電車に乗って東京駅経由で最寄り駅まで帰る途中のことだった。僕はその日は珍しく朝早くから起きていたので帰りの電車の中は眠気のとの死闘を繰り広げる事になったのだが、僕から見て右手斜め向かい側の席に、肩ぐらいまである黒髪の、どちらかというと活発的な雰囲気を匂わせる女の子が座っていた。服装は比較的ラフでタイトなミニスカートを履いていた、足をピッタリくっ付けていなかったので、スカートの中が角度によっては見えるのでは無いかと淡い期待をしつつ、良い方法は無いものかと寝惚けた頭で考えてはみたが、気付くと睡魔に負けて寝ていたらしく、あまり詳しく覚えていない。

目が覚め気付くと何駅か進んでおり、まだ最寄り駅には遠いが寝るほど時間が掛かる距離でも無いぐらいの中途半端な時だった。眠る前に右手斜め前にいた筈の女の子はその席にはもう居なく、途中下車したのかと一人思っていたのだが、その席の手前側、吊り革を持って立っている女性に気付いた。その女性、いや女の子はさっきまでその席に座っていた女の子だった。気持ち悪いのは百も承知で、その時自分でもこれは一種のストーキングでは無いかと思ったぐらいだった。ただ気になったのは何故座っていたのに今は立っているのか、そこに疑問を感じたのだがそれはすぐに理解出来た。その席にはその女の子より少し年齢が上の女性が座っていた、ゆったりした服装から、恐らく妊娠しているのであろう。妊娠している女性はマタニティマークと呼ばれるストラップをカバンなどによく付けているのを目にするが、僕の位置からではそのストラップは見つけられなかった。ただ状況からして恐らく、その女性は妊婦であると理解は出来た。

 

僕は個人的に決めているルールがあって、どのいかなる状況でも自分が席に座っていて目の前に老人が来た際は席を譲るという取り決めがある。罰せられるわけでも無いし、譲らなくても何か失うわけでも無いのだが、それは自分が自分であるために守ろうといつの日か決めたルールだ。それは相手が老人で無くても、妊婦でも同じでマタニティマークを見た時には席を譲っている。幼い子供連れの親子や怪我している人なども同様である。

その女の子もきっと僕と同じ理由で席を譲ったのだろう。対して僕はその子のスカートの中にある楽園を見たいが一心の下心丸出しの考えに少し恥じつつ、そんなやさしい世界がこれからも続くと淡い期待に胸躍らせた、とある日の夕暮れのことだった。